小松市と小松基地
※以下は小松市で生まれ育ち、生まれたときから小松基地が日常にある一個人の主観です。
F15部隊が2隊、約40機のF-15がある航空自衛隊屈指の小松基地には、民間機や外国機も離着陸しています。
基地でありながら、北陸の空の玄関口の小松空港も共有し正式には「小松飛行場」と言います。
※TVで「小牧空港」とい言い間違える有名人がいたので防衛省にはしっかり「小松基地」の広報活動をしてください、と注文しておきます。
小松飛行場は太平洋戦争末期に建設され、第721海軍航空隊(神雷部隊=特攻隊)の主力が退避、駐留していました。
この飛行場建設について当初、戦時下の食糧増産と言う名目で、安宅海岸の砂丘地帯や松林を開墾していましたが、
実は軍事機密による偽装飛行場建設でした。開墾が終わる頃に一方的に飛行場建設に変更され、地主は戦時徴用とし
てタダ同然のような金額で用地買収をされて海軍小松飛行場の建設が始まり、多くの学徒や報国会、刑務所の囚人、朝
鮮人の労働者ら延べ約20万人が動員されて突貫工事で建設していましたが、基地施設や対空陣地などが未完のまま終
戦を迎えました。
戦後、米軍の飛行場接収を経て、民間機が就航しましたが、ほどなくして政府から自衛隊小松基地設置の要望があり、
小松市側でも和田傅四郎(初代)市長が基地誘致に前向きに応える一方、小松市民の間では反対運動が起きています。
和田市長は日露戦争を戦った老兵であり、熱心な国防論者だったようで、日本海側の基地の必要性をよく理解し、小松
基地に航空団を置いて日本海の防衛の拠点にすることにも熱心だったようです。一方では基地の街としての小松市の成
長と発展も考えて基地補償問題の交渉も行い、その後の小松市の発展を見るならば、(当時の人口8万人→現在約11
万人)地元にとっても、日本国にとってもウィン・ウィンの小松基地誘致だったと言えそうです。
小松市初代市長 和田傅四郎の言葉
『ジェット基地は戦争の基地でないんじゃさかい、神雷特攻隊の二の舞いは決してござらんと確
信しとりまするし、絶対に神雷にさせてはいかんのでありまする。
防衛が本務でありまして、攻めていく機関では毛頭ないことを断言しときまする。
基地ァ立派な観光資源のひとつといたしまして、日本中の皆さんに喜んで見学してもらえるよう
に開放する、安心できる基地でござりまする。』
引用:『和田傅四郎翁その人生と生涯』
以上の言葉は、小松市に小松基地が存在するための「理念」と言ってもいい言葉だと思います。今後、憲法解釈で日本
が戦争のできる国になったとしても、小松基地から領空外、外国に攻撃に向かうことは、小松市に基地を設置したときの
理念に反することになるかと思いますので、小松基地の地元である小松市民の理解が必要になると思います。
今から思えば、日本海側の防衛の拠点として小松市は最適地で、輪島市のレーダー基地と併せて基地を建設すること
にしたのは大正解といえますが、
当時の小松市民にとっては旧海軍小松基地にいた特攻隊というトラウマや、軍隊経験、銃後の苦しい生活などで辛酸労
苦をなめた思いから戦争はこりごりという思いがあり、反対運動が起きたのは当然のことだったようです。それから、当時
は『基地のある街は原爆攻撃の目標』になるという、冷戦下の核攻撃の恐怖もありました。
今でも『小松基地は弾道ミサイルの第一攻撃目標になっているだろう』、と日常の雑談で聞くことがあります。
それから、『昔はメーデーの時は労組の集団で基地にデモに行ったもんだが、今はさっぱりやな』というご隠居もいます
が、現在、小松市と小松基地の関係は、地元民によって小松基地支援の会のようなものが7団体ほどあって、非常にい
い関係が保たれているということです。
小松基地開設当初は激しい反対運動もありました。小松基地のある町内会の人たちが激怒して基地に乱入したトラブル
もありましたが、紆余曲折、小松市民の国防への理解と協力で小松基地は開庁60周年に向かっています。
小松基地と地元の関係を象徴するようなお米。
小松基地航空祭の販売限定品だったはず・・・・。
私見ですが、
小松市は同規模の自治体と比べて「基地の迷惑料」で道路や公園ががとてもよく整備されている、と言われます。でも、いざ有事に多くの物資や補
給品、応援部隊が小松市に運び込まれる時に、小松市内の道路が積雪で通れない、道路が狭くて迂回路もない、武器弾薬、燃料を運ぶトレーラー
が走れない、小松基地が未発達なインフラのせいで機能不全になるとか、公園がないと有事に住民が避難するのも不便、隊員の家族が安心して暮
らせない田舎町では困るから、基地の街としてのインフラ整備をしていると見るほうが正しいような気がします。
小松市に無駄に広い道路をたくさん造っている、というのは違うと思います。
地元では、小学校の社会見学で『小松空港』にきています。
私も小学一年生の時に来ました。雨の中ジャンボ機らしきものを見た記憶があります。
※ここは国土交通省の大阪航空局が管理し、民間会社がターミナルビルを運営する『小松空港の展望施設』です。
自衛隊基地ではありません。共用空港なので、民間機の後に、自衛隊機が飛びます。
教育の一環として戦闘機を見に来ていると勝手に勘違いしてはいけません。基地でなく、飛行場を見に来ている。
地元には小松基地航空祭に反対したり、イベントで子供に戦闘機を見せるな、触らせるなという申し入れを毎回する人たちもいます。
2013年、小松基地のRW06にもスクランブル格納庫が設置されることになりました。
※RW=ランウェイ=滑走路の意味
RW06に建設中の耐弾型格納庫(2013年の工事写真)
緊急発進の時間ロス解消 小松基地、飛行隊を分散配置
近隣諸国からの領空侵犯に備え、航空自衛隊小松基地で戦闘機の緊急発進(スクランブ ル)態勢が強化され
ることになり、基地側が22日、地元町内会に整備計画を明らかにし た。防衛省は2015年度をめどに、能美市
側にしかない飛行隊の指揮施設と駐機場を加 賀市側にも設け、いずれの方向からも即座に飛び立てるようにす
る。これまで風向きの関 係で加賀市側から発進する際、滑走路までの距離が長く、タイムロスを余儀なくされてい
た。
小松基地には第303、第306の飛行隊2隊があり、計約40機のF15戦闘機が配 備されている。両隊の指揮
施設は能美市側に並んでおり、隣接する駐機場などからF15 が出動する。
戦闘機は向かい風で飛び立ち、スクランブルでは風向きによって能美、加賀市側のいず れかから滑走路に入っ
て離陸する。ただ、加賀市側から滑走路に入る場合、能美市側に比 べて遠回りとなり、時間のロスが発生してい
た。どの程度のタイムロスかは、防衛上の理 由から明らかにされていないが、数十秒から数分とみられる。
整備計画では、2飛行隊の指揮施設のうち、303飛行隊用の1施設を加賀市側に移設 。隣接地に1機ずつ保
管できる17機分の駐機場(シェルター)を整備する予定で、これ までに10機分を整備した。15年度末までに残る
7機分を完成させ、最大3トンの弾薬 を保管できる施設も備える。小松基地は小松市日末町にある通称・三味(さ
んまい)谷( だに)地区の用地約10万平方メートルをすでに取得した。
中国の防空識別圏設定で、日本海側で唯一、戦闘機部隊が配備されている小松基地でも 緊張が高まってい
る。防衛省によると、昨年度に全国の空自基地から緊急発進した回数は 、前年度比142回増の567回あった。
500回を超えたのは22年ぶりで、中国が3 06回、ロシア248回と多かった。小松基地を含め、基地別のデータ
は公表されていな い。
説明を受けた日末町内会の宮前豊町内会長(55)は「防衛力強化に必要なことならば 、理解せざるを得ない
が、安全を確保してほしい」と話した。
(2013/12/23 北国新聞)
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一言ツッコミしておきますと、
※三昧(さんまい)、小松市では昔は火葬場のことを意味しました。
念のため仏様を置いておいた方がいいんじゃないか?と思いました。
RW06に迂回して、通常より時間のかかっているスクランブルの動画
小松基地スクランブル!! (RW06)
これを見れば、なぜ加賀市側にもスクランブル施設が必要なのかわかります。
時速1500キロ以上で飛ぶ戦闘機が10秒でどのくらい飛んでくるかを考えると、
ロスタイムはない方がいいに決まっています。
強大な隣国には『つけ入る隙を見せてはいけない』と思います。
〜余談〜
日本海のすぐそばにある小松空港(基地)は津波に耐えられるのか?
小松は津波に大丈夫か?
小松市の浜佐美町〜草野町、安宅町の海岸線には高い土手が続いています。
さらに、海岸沿いに北陸自動車道が走っています。これは加賀市〜梯川までは盛土による道路なので、
津波が発生して海岸線の土手を乗り越えても、北陸自動車道が小松空港を水没から守るらしい。
それから小松市〜加賀市一帯の海岸線は古来「小松砂丘」といわれる砂丘林が続く地形であり、安宅山などの小高い山
もありました。戦時中に砂丘が農地として平地に開墾されて海軍小松基地が作られ、その跡地にできた小松空港の標高
は意外と高いところにあります。
安宅インター付近で見てみたら分かりますが、小松工業団地の工場の屋根より、滑走路は高い位置にあります。
『スカイパークこまつ翼』の事務所の屋根よりずっと上に滑走路があります。
航空自衛隊松島基地は津波の被害を受けましたが、小松基地はその可能性は低そうです。
※以上は、何かの防災記事で読んだのですが、詳細は未確認です。
小松空港の前を通る、北陸自動車道
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