1941年 |
昭和16
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12月8日
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真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発。 |
1943年 |
昭和18
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4月1日
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舞鶴鎮守府小松飛行場建設事務所設置。
農地開発営団の事業を海軍飛行場の建設に変更し、工事を始める。
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1944年 |
昭和19
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6月16日
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B29、日本初空襲。(北九州市) |
7月13日
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退避基地調査に、一式陸攻が小松基地に飛来。
(実用機が初めて小松基地に着陸)
このときはまだ小松基地は建設中であり、滑走路は南北の一本のみ、それも北側
の四分の一は未完成。小松海軍航空基地は、現在の航空自衛隊小松基地のある
ところ。
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9月1日
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小松海軍航空隊開設。
練習航空隊として、予科練教育。
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9月20日
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小松基地の滑走路、ほぼ完成し豊橋海軍航空隊の退避飛行場と
なる。
豊橋空の永石正孝司令は140名の特攻隊員を募り、30機の96式陸上攻撃機が小
松基地に移り九州進出に備えた。豊橋海軍工廠のカーバイトの焼却灰を小松基地
へ輸送し赤土と混ぜ合わせ、三和土(=固い土)をつくり、滑走路に敷き詰めてセメ
ント不足を補った。
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11月15日
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小松基地の滑走路完成。 |
1945年 |
昭和20
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3月15日
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豊橋空の一式陸攻小松基地に移動。 |
3月21日
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第一神風桜花特別攻撃隊 (桜花16機一式陸攻18機 零戦18機、全滅) |
3月29日
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大分県宇佐基地にあった神雷部隊(721空)は一中隊を鹿屋基地
へ移動。残りは小松基地に移動。
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4月 1日
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第二神風桜花特別攻撃隊 (桜花3機、一式陸攻3機、零戦14機) |
4月 6日
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B-29 小松市上空通過(石川県初飛来)。 |
4月12日
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第三神風桜花特別攻撃隊 (桜花9機、一式陸攻9機) |
4月14日
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第四神風桜花特別攻撃隊 (桜花7機、一式陸攻7機) |
4月16日
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第五神風桜花特別攻撃隊 (桜花6機、一式陸攻6機) |
4月28日
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第六神風桜花特別攻撃隊 (桜花4機、一式陸攻4機) |
5月 4日
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第七神風桜花特別攻撃隊 (桜花7機、一式陸攻7機) |
5月11日
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第八神風桜花特別攻撃隊 (桜花4機、一式陸攻4機) |
5月25日
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第九神風桜花特別攻撃隊 (桜花12機、一式陸攻12機) |
6月10日
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神雷部隊、攻撃708飛行隊は小松基地に移動。 |
6月22日
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第十神風桜花特別攻撃隊 (桜花6機、一式陸攻6機) |
7月 3日
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神雷部隊の桜花隊、鹿屋基地から小松基地に移動。 |
7月 5日
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721空(神雷部隊)本部を松山基地に、主力を小松基地に展開。ゼ
ロ戦20機、小松基地に移動。
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8月15日
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午前8時、海軍第3航空艦隊第706航空隊、小松基地出撃。サイ
パン島奪還のため豊橋基地経由、木更津基地集結。
正午、終戦の詔勅(玉音放送)下る。
ポツダム宣言の受諾、終戦。
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8月22日
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小松基地の神雷部隊解散式(350名)。 |
8月23日
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小松基地の神雷部隊最後の飛行。
一式陸攻で出身地別に帰郷。
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8月24日
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この日以降、日本国籍の航空機の飛行は全面禁止された。 |