小松の空 〜小松飛行場物語〜

石川県 小松市

小松市に初めて飛行機が飛来した日





小松に史上初めて着陸した飛行機は、モーリス・ファルマン式4型

沢村狛蔵所長とその娘を中心に、馬政局職員、串村職員関係のみなさんとの記念写真

小松市の串町から月津町にかけて広大な牧草地だったので飛行場のなかった時代には串町に飛行機が着陸していました。



当時の北国新聞記事
(大正6年8月7日発行)




小松市に初めて飛行機が着陸した記念すべき日


大正6年(1917年) 8月6日 12時2分

大正6年(1917年)の夏、石川種馬所第一牧場(小松市青路町、コマツ粟津工場付近)の牧草地に飛行機が 着陸しました。小松市に史上初めて飛行機が着陸した記念すべき瞬間です。

帝國飛行協会の第五号機「モ式4型」で、操縦者は同協会の後藤正雄研究生(24歳)。

この日、午前11時30分、金沢市の出羽町練兵場(本多の森ホール付近一帯)を離陸し、小松市市街地上空 を飛翔して飛来したもので、帝國飛行協会(現:日本航空協会)の会員募集と航空思想普及のための北陸 連絡大飛行でした。

「モ式4型」・・・モーリス・ファルマン式4型、改良モ式ともいう。
陸軍が大正4年にフランスから輸入した「モ式1914年型」を改造し、初歩練習機として航空大隊に支給した。
その性能は、乗員2名、ルノー100馬力エンジン、最高速度106キロ、航続時間3.45時間。





モーリス・ファルマン MF.11
1914年(大正3年)に輸入し陸軍はモ式四型偵察機として制式採用。陸軍所沢飛行場で量産した。




飛行機を見たことのなかった当時の人々にとってこれは重大ニュースでした。
黄色の復葉翼のプロペラ機が串町上空を旋回すると、地元の大人や子どもたちが駆け集まって物珍らしく 見守った。当時は松並木の北陸往還(現在の県道大聖寺・小松線)へ自動車が通るといううだけでも、みん な見物に出かけ、ものすごい音と挨に肝をつぶしていた時代ですから、飛行機が飛んでくるということは今な らUFOが飛んでくるぐらいの驚きだったと思われます。

 その後、石川種馬所が陸軍軍馬補充部になって、富国強兵の普及の意味からも、時折飛行機が飛来して いたらしい。

串小学校の記録では、「大正13年11月3日、体育の宣伝をなし、長距離競争をなし、種馬所へ遠足し、飛 行機を見学せしむ」また、「大正14年7月20日、八日市飛行機第三連隊、種蓄場にて飛行練習をなし、児 童を見学させる」とあります。

当時を知る串町住民たちの話を総合すると、

大正12年11月、あべ、かわち。
昭和12年2月、92式 2機
昭和15年4月、97式、7機


昭和10年前後の冬、川西牧場(廃止された石川種馬所跡地)へ飛行機が来るとの情報で、大勢の人が見 物に来た。陸軍兵士の指示で、雪の積もった牧場に着陸するため、見物する人々全員が雪を踏み固めて 滑走路にした。現地では着陸不能と電話連絡をとったが上層部は強行着陸を指示してきた。
そこで、見物者の足で雪を踏み固めたのである。そんなことで予定より4時間も遅れて飛来する。
上空を旋回して雪の上に着陸するが、あと少しで止まる時に車輪が窪みにはまったのか、飛行機が前にひ っくり返りプロベラが一枚折れた。

川西牧場の経営主は、神戸の川西飛行機製作所でした。製作した飛行機の試験飛行を兼ねて、川西牧場 の牛乳や乳製品を運搬していました。宣伝を兼ねてしばらく寄留していたこともあるらしい。時折、飛行機の 旋回するのを村人たちはよく見ていました。



石川種馬所
日清戦争後に、農商務省所管の種馬所が日本各地に設置された。石川種馬所は明治35年(1902年)に能 美郡御幸村字串、江沼郡月津村時四丁町字月津にわたり設置。
大正13年(1924年)廃止、石川県に移管となり、1925年「石川県種蓄場」設立、一部は「川西牧場」となる。


参照元:「粟津海軍飛行場」住田正一、「串町史」





コマツ粟津工場正門
コマツ粟津工場ができる前は、広大が牧場が広がっており、そこに小松市初の飛行機が降りてきました。



明治42年の地図



かつての牧草地はコマツ粟津工場になっています。







小松市に飛行機が史上初めて着陸した場所は、現在、コマツの重機が生産されています。







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