特攻隊員が生みの親 82歳女性4人、「串町音頭」で証言
戦時の演芸に住民感動
小松市串校下公民館が聞き取り
2006年06月11日(日) 北國新聞朝刊
太平洋戦争終戦の年、特攻隊が分宿した小松市串町で十日、往時を知る女性四人の聞き取り調査が行
われた。隊員が町民に伝えた「串町音頭」の成り立ちを記録するのが目的で、同校下公民館が協力を呼び
掛けた。語り部の四人は、隊員が演芸会で串町音頭を披露したのをきっかけに地元に感動の輪が広がっ
たと証言、唄を教えた整備士らとの交流を振り返った。
串町に滞在した「神雷部隊」は、一人乗りの有人飛行爆弾「桜花」を操縦し、敵艦に突撃する特攻隊。一九
四五(昭和二十)年、小松飛行場に造成された十字の滑走路から出撃し、その多くが戦死した。
聞き取りに協力したのは、串町の中澤ツヤ子さん、西田美代さん、井須美津子さん、田島ツヤ子さんの四
人。現在八十二歳の同級生で、隊員と撮影した記念写真を眺めながら二十歳のころの記憶をたどった。
今も串小児童に親しまれている串町音頭は、特攻隊が作詞、作曲、振り付けをしたと伝わっていた。四人
によると、初めて披露されたのは、演芸会の席で、特攻隊員数人が自らの命より町民を元気付けるように
唄い踊ったという。その舞台に感動した四人は、整備士だった男性らに教えを請い「戦時中ゆえに見とがめ
られないよう花笠(はながさ)を隠して習いに通った」と振り返った。
証言では、隊員が出撃前夜に宴会を催して名残を惜しんだ様子も語られた。全国各地から集まった隊員
は串町の光玄寺や民家、小学校に泊まり、郷土を思い出し、歌や踊りを披露したという。聞き取りに当たっ
た春木義勝公民館長と有山権与門副館長は「当時を知る人が少なくなる中、貴重な資料となった。大切に
受け継いでいきたい」と話した。録音したテープは同町民俗資料館に保存される。
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