事故当日の夕刊
1969年(昭和44年)2月8日(土) 北国新聞 夕刊
自衛隊機が民家に墜落、市民4人が死亡した自衛隊初の大惨事事故!!
航空自衛隊小松基地 F104 金沢市・泉に墜落、民家十六戸を全半焼
落雷か、パイロット脱出。
1969年2月8日午前11時59分ごろ、金沢市泉二丁目10番22号、農業角村源治さん宅前の路上に航空自衛隊小松基地第
六航空団のF-104Jジェット機が墜落した。付近は民家の密集地だったため、たちまち火災が広がり、まわりの民家14戸が全
焼、半焼2戸、さらに機体が200m四方に分散、その衝撃で全半壊の民家もかなり出ているほか死者3人、19人以上の負傷
者(14時半現在、金沢市消防本部調べ)を出した。また周辺50数戸の家にガラス破片などの損害があった。なお、被害は今
後まだ大きくなる模様。
墜落したジェット機は第六航空団小松基地所属のF-104J(操縦者T・M 二尉 30歳)で、通常訓練中、七機編隊で茨城県の百
里基地から小松基地に時速450キロで向かう途中の一機だった。同機が墜落直前、パイロットから小松基地にあった通報に
よると、金沢市上空1,000mで機体に大きなショックを感じ墜落、脱出するという無線連絡があった。
午前11時57分ごろ、金沢市で落雷があり同機の墜落も落雷に原因があるのではないかとみている。現場には金沢市消防本
部の救急車などもかけつけているが、現場の状況把握が進まず、けが人、あるいは死者がどれだけ出ているかもはっきりつ
かめない状態。一部のけが人は金沢市野町五丁目、川北病院などに運ばれて手当てを受けている。
原因調査開始
午後一時過ぎ、小松基地の救難隊十数人が到着、機体部品などについて調査をはじめた。
二年前にも落雷事故
二年前の1967年12月12日にも同飛行隊のF-104Jジェット機が飛行訓練を終えて帰る途中、金沢市金石港沖35キロの上空
で落雷のために計器類が故障して墜落する事故があった。このときは自力脱出している。
無残、三人焼死
行方不明となっていた宇野さんの妻(49歳)と柿木さんの妻(35歳)がそれぞれ自宅で午後2時半ごろ自宅で焼死体となって発
見されたほか、墜落現場付近の焼け跡で身元不明の轢死体(性別不明)が見つかった。
落雷を受けた ベテラン飛行士墜落のT二尉
『機体に落雷を受けた。機首を上げようとしたが、上がらずやむなく脱出した。全くの瞬間でありはっきりした記憶はない。気
がついたら田んぼの中に落ちていた。』
T二尉は熊本県出身で、昭和43年1月10日に小松基地に配属された。総飛行時間は1,827時間、F104での飛行時間は554時
間のベテラン飛行士。
飛行士は無事脱出
T二尉は脱出した後、金沢市米丸町の米丸保育所付近に着陸、同保育所で県警本部員らの調べを受けた。
有松方面から突っ込む
F-104Jは有松方面から突っ込み、泉二丁目10-22、角村源治さん宅の二階と一階を翼でえぐった跡があり、そばの電柱を
一本引っ掛けて倒している。
不安定な天候
この日、北陸地方の天候は、佐渡沖に低気圧があり、北陸から山陰沖に達しており、満州から寒気が入り込んで不安定な
空模様で雷の起こりやすい天候だった。
目撃者の話「大音響とともに燃え上がる」
昼休憩時間中にジェット機の爆音を聞き、瞬間停電した。窓から顔を出したとき、近くの酒屋にジェット機が墜落、ドカンとい
う大音響とともに一瞬に燃え上がった。すぐに110番に電話して現場へ駆けつけたところ、近所の三戸が燃えており、けが人が
泣きわめいていた。
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